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【裏あおいみゆ】「ペドリーニョ・マタドール」71人殺害で懲役400年、ブラジル最悪 元YouTuber

2026年04月16日 | 約29分で読めます | japan_miyu_

ブラジル史上最悪の殺人犯を選ぶということ

ブラジルという国は、世界でも有数の凶悪犯罪大国として知られている。年間の殺人件数は5万件を超え、殺人事件の解決率はわずか10%程度。そんな国で「最悪の殺人犯」を一人だけ選ぶというのは、正直なところ途方もない作業だった。

候補者には事欠かない。14人の少年を殺害し血を飲んだとされる「ニテロイの吸血鬼」マルセロ・コスタ・デ・アンドラーデ。マラニョン州とパラー州で42人もの子どもを殺したフランシスコ・ダス・シャガス。看護師の立場を利用して患者を次々と殺害したエジソン・イジドロ・ギマランエス。

しかし、被害者数、猟奇度、殺害手段の特異性、そして無差別性の4つの基準で総合的に判断した結果、一人の男が頭一つ抜けていた。

ペドロ・ロドリゲス・フィーリョ — 通称**「ペドリーニョ・マタドール(小さな殺し屋ペドロ)」**。

公式に有罪判決を受けた殺人だけで71件。本人は「100人以上殺した」と自白している。14歳で最初の殺人を犯し、刑務所の中だけで47人の囚人を殺害。実の父親を22回刺した上にその心臓を噛みちぎり、左腕には「mato por prazer(殺しが快楽)」という刺青を彫った男。

そして2023年3月、68歳で路上において喉を切り裂かれて殺された。

これが、ブラジルが生んだ最悪の殺人犯の物語である。


年表:ペドリーニョ・マタドールの生涯

年月出来事
1954年10月29日ミナスジェライス州サンタ・リタ・ド・サプカイにて誕生。父の暴行により胎児の頃から頭蓋骨を損傷
1963年頃(9歳)父の暴力から逃れ家を出る。代父母のもとへ身を寄せた後、サンパウロへ
1965年頃(11歳)イタケーラ地区で麻薬密売人ジョルジ・ガルヴァンとその兄弟・義兄弟を射殺。初の殺人
1967年頃(13歳)年上の従兄弟を砂糖キビ圧搾機に押し込み、その後ナイフで殺害したと主張(未確認)
1968年(14歳)サンタ・リタ・ド・サプカイの副市長と警備員を祖父の散弾銃で射殺。逃亡生活へ
1968~1973年モジ・ダス・クルーゼスに潜伏。麻薬密売所を襲撃し売人を殺害。「ペドリーニョ・マタドール」として報道される
1971年頃(17歳)マリア・アパレシーダ・オリンピア(通称ボチーニャ)と出会い同棲。彼女の亡夫の麻薬ビジネスを引き継ぐ
1971~1972年頃ライバルの密売人「シーナ」の一味にボチーニャを殺害される。復讐としてシーナの結婚式を襲撃し8人を殺害、16人を負傷させる
1973年5月24日18歳で逮捕。護送中に手錠をかけられたまま同乗の囚人を殺害
1973~2007年服役中に47人の囚人を殺害。父親を22回刺殺し心臓を噛みちぎる。刑期は累計約400年に
1985年アララクアーラ刑務所の暴動に参加。4人の囚人の殺害に関与
1987年刑務所内で囚人オスマニー・ラモスを殺害未遂
2007年4月24日34年間の服役を経て仮釈放。セアラー州フォルタレーザへ移住
2011年9月15日サンタカタリーナ州バウネアーリオ・カンボリウーで再逮捕。暴動罪等で懲役8年
2018年12月10日模範囚として2度目の釈放。YouTubeチャンネル開設。キリスト教に改宗
2023年3月5日モジ・ダス・クルーゼスのジャルジン・ナウチコ地区で銃撃・斬首され死亡。享年68歳

暴力の中に生まれ落ちた男

1954年10月29日、ブラジル南東部ミナスジェライス州の小さな農村、サンタ・リタ・ド・サプカイ。ペドロ・ロドリゲス・フィーリョはこの世に生を受けた。

しかし彼の人生は、生まれる前から暴力に支配されていた。

父親もまたペドロという名前だった。アルコール依存症で気性の荒い男で、妊娠中の妻を日常的に殴っていた。ある日の激しい喧嘩で、父は母の腹を蹴り上げた。その衝撃は胎児の頭蓋骨を損傷させた。ペドロは生まれた時点で既に頭蓋骨に亀裂が入っていたのである。

後年、精神科医たちはこの胎児期の外傷が脳の「共感領域」に影響を与えた可能性を指摘している。暴力の中に生まれ、暴力によって脳に損傷を受けた赤子。それがペドリーニョ・マタドールの出発点だった。

家庭環境は劣悪そのものだった。父親の暴力は母親だけでなく、成長するペドロにも向けられた。9歳の時、ペドロは耐えきれず家を飛び出した。まず代父母(パドリーニョ)のもとに身を寄せたが、そこにも長くはいられず、やがてサンパウロへと流れ着いた。

サンパウロの中心部やゾナ・レスチ(東部地区)のホテルを転々としながら、少年ペドロは窃盗や強盗で日銭を稼ぐ生活を始めた。路上で生き延びるために、この少年は早くから暴力というものを自分の武器にすることを覚えたのだ。


11歳、最初の血

ペドロが初めて人を殺したのは、11歳の時だったとされている。

サンパウロ東部のイタケーラ地区。ペドロは地元の麻薬密売人ジョルジ・ガルヴァンを銃で撃ち殺した。さらにガルヴァンの兄弟と義兄弟も殺害した。11歳の少年による3人の殺害。信じがたい話だが、これがペドリーニョ・マタドールの殺人のキャリアの始まりだった。

13歳の頃には、年上の従兄弟との喧嘩で相手を砂糖キビの圧搾機に押し込み、腕をほぼ切断した上にナイフで殺害したと本人は主張している。ただし、この事件は警察記録では確認されていない。


14歳の「正義」 — 副市長射殺事件

ペドロの犯行が初めて公に記録されたのは、14歳の時だった。

きっかけは父親の解雇だった。父ペドロは地元の学校で警備員として働いていたが、学校の食堂から食料を盗んだ疑いで解雇された。しかし息子のペドロは、真犯人は別の警備員だと確信していた。そして、父を不当に解雇した張本人であるサンタ・リタ・ド・サプカイの副市長に怒りを燃やした。

ペドロは祖父の散弾銃を手に取り、市役所の前で副市長を射殺した。

さらに、父に窃盗の濡れ衣を着せた真犯人だと睨んでいた警備員も射殺した。

14歳の少年による2件の殺人。これがペドロの「正義」の始まりだった。彼はこの後の人生で一貫して、自分の殺人を「正当な行為」として位置づけ続けることになる。

副市長と警備員を殺した後、ペドロは逃亡生活に入った。向かった先はサンパウロ大都市圏のモジ・ダス・クルーゼスだった。


「小さな殺し屋」の誕生 — モジ・ダス・クルーゼスの日々

モジ・ダス・クルーゼスに潜伏したペドロは、麻薬密売所(ボカ・デ・フーモ)を次々と襲撃し始めた。金と薬物を奪い、抵抗する売人は容赦なく殺した。

10代の少年が麻薬組織の拠点を単独で襲い、売人を殺して回る。この異常な事態はすぐにメディアの注目を集めた。報道は彼を**「ペドリーニョ・マタドール(小さな殺し屋ペドロ)」**と名付けた。犯罪者を殺す犯罪者。その矛盾した存在は、ブラジルの一般市民の間で奇妙な人気を獲得していった。

この頃のペドロは、単なる強盗殺人犯というよりも、ある種の「自警団」のような存在として振る舞っていた。彼が狙うのは麻薬の売人や犯罪者ばかりだったからだ。もちろん、その動機が純粋な正義感だったかどうかは極めて疑わしい。金と薬物を奪うという実利的な目的と、殺人そのものへの衝動が混在していたと考えるのが妥当だろう。


ボチーニャとの出会い、そして復讐の結婚式襲撃

17歳の頃、ペドロの人生に一人の女性が現れた。

マリア・アパレシーダ・オリンピア — 通称**「ボチーニャ」**。地元の麻薬組織のボスの未亡人だった。ペドロはボチーニャと同棲を始め、亡き夫が残した麻薬ビジネスを引き継いだ。組織内のライバル3人を排除し、裏社会での地位を固めていった。

ボチーニャはペドロの子を妊娠した。後にペドロが「人生でただ一人の愛」と語った女性だった。

しかし、幸福は長くは続かなかった。

ペドロがかつて武器と金と薬物を奪ったライバルの密売人、通称**「シーナ」**が復讐に動いたのだ。シーナの一味はペドロの留守中に自宅を襲撃し、妊娠中のボチーニャを射殺した。壁にはボチーニャの血で「お前も同じ目に遭わせてやる」と書き残されていた。

愛する女性と胎児を同時に失ったペドロは、完全に理性の糸が切れた。

約1年にわたって、ペドロはシーナの居場所に関する情報を持っていそうな人間を片っ端から捕まえ、拷問し、殺した。情報を引き出すためなら手段を選ばなかった。

そしてついに、シーナの元恋人の女性から決定的な情報を得る。シーナがある親族の結婚式に出席するというのだ。

ペドロは2人の仲間とともに結婚式場に乗り込んだ。そして銃を乱射した。

ペドロはこう命じたとされている — 「男は全員撃て」

この襲撃で8人が死亡、16人が負傷した。シーナは胸を撃たれて死んだ。結婚式という晴れの場が一瞬にして血の海に変わった。

これがペドリーニョ・マタドールの「復讐」だった。


逮捕 — 18歳、手錠のまま殺人

1973年5月24日、18歳のペドロはついに逮捕された。

しかし、逮捕された瞬間から、この男の異常性は際立っていた。

刑務所への護送車に乗せられたペドロの隣には、もう一人の囚人が座っていた。2人とも手錠をかけられていた。しかし護送が終わり、警察官がドアを開けた時、隣の囚人は既に死んでいた。

ペドロは手錠をかけられたまま、移動中に隣の囚人を殺害していたのだ。

理由を聞かれたペドロはこう答えた — 「あいつは強姦犯だから」

最初の刑期は128年。しかし、これはまだ序章に過ぎなかった。


刑務所という名の狩場 — 47人の囚人殺害

ペドロ・ロドリゲス・フィーリョにとって、刑務所は罪を償う場所ではなかった。それは新たな「狩場」だった。

服役中にペドロが殺害した囚人の数は、少なくとも47人に上る。彼の殺人の大半は、実は塀の外ではなく中で行われたのだ。

殺害の場所は食堂、独房、中庭、さらには囚人移送車「ボンジ」の中まで多岐にわたった。ペドロが獲物を仕留められない場所は存在しなかった。

殺害方法は主にナイフ — 特にブラジルの「ペイシェイラ」と呼ばれる大型の台所刃物が多用された。また、ペドロは約10人の囚人の首を素手でへし折って殺したと自ら語っている。

ペドロの標的選びには一定のパターンがあった。彼は殺人犯、強姦犯、小児性愛者といった、自分が「悪党」と見なした囚人を優先的に狙った。自分の姉妹を殺した囚人の首を斬ったこともあったという。

だが、その「正義」は極めて恣意的なものだった。ある囚人は、**「いびきがうるさい」**という理由だけで殺された。

1985年にはアララクアーラ刑務所で発生した暴動に参加し、4人の囚人の殺害に関与した。1987年には囚人オスマニー・ラモスを殺害しようとして未遂に終わっている。

ペドロは刑務所内で犯罪組織**「セルペンテス・ネグラス(黒い蛇)」**の共同設立にも関わったとされている。

殺人を重ねるごとに刑期は加算され続け、最終的に累計約400年という途方もない数字に膨れ上がった。

1982年に実施された精神鑑定では、「暴力的な自己肯定を主な動機とする」パラノイド的性格特性と反社会的行動パターンが診断されている。

そしてペドロは自らの左腕に、その本質を刻み込んでいた。

刺青にはこう書かれていた — 「MATO POR PRAZER(殺しが快楽)」


父殺し — 心臓を噛みちぎった日

ペドロの数ある犯行の中でも、最も衝撃的なエピソードがある。実の父親の殺害だ。

事の発端は母親の死だった。父ペドロ(同名)は妻を21回刺して殺害し、投獄されていた。母を殺された息子ペドロは、面会の機会を利用して父親に近づいた。

そして父親を22回刺した

「母親を21回刺したから、俺は22回刺した」– ペドロは後にこう語っている。

しかし殺害はそこで終わらなかった。ペドロは父親の胸を切り開き、心臓を取り出してその先端を噛みちぎったのだ。

ただし、この「父殺し」の真偽については論争がある。ブラジルの犯罪研究者ウリセス・キャンベルは、ペドロの父親は実際には数年後に刑務所内で呼吸器疾患により死亡したと指摘している。ペドロ自身が伝説を創り上げた可能性も否定できない。

いずれにせよ、「父の心臓を噛みちぎった男」という物語は、ペドリーニョ・マタドールの名を世界に知らしめることになった。


34年の服役と最初の釈放

ブラジルの法律では、当時、いかなる犯罪者も最長30年を超えて収監することはできないと定められていた。累計懲役400年という判決を受けたペドロだったが、実際の服役期間は34年間だった(法改正により上限が延長されたため、30年を若干超過している)。

2007年4月24日、ペドロは仮釈放された。52歳になっていた。

釈放後、情報機関の報告によれば、ペドロはブラジル北東部セアラー州の州都フォルタレーザに移住した。

しかし、自由の身は長くは続かなかった。


再逮捕、そして2度目の釈放

2011年9月15日、ペドロはサンタカタリーナ州バウネアーリオ・カンボリウーの農村で逮捕された。管理人として働いていたという。

逮捕容疑は、サンパウロの刑務所に収監されていた時期に起こした暴動罪と不法監禁罪。刑期は8年だった。

ペドロは模範囚として振る舞い、2018年12月10日に釈放された。64歳。人生の通算で42年間を鉄格子の中で過ごした計算になる。


YouTuberへの転身 — 「ペドリーニョ元殺し屋」

2018年の釈放後、ペドロは誰も予想しなかった道を歩み始めた。

YouTuberになったのだ。

チャンネル名は**「Pedrinho EX Matador(ペドリーニョ元殺し屋)」。後に「Pedrinho ex-matador com Jesus(イエスとともにあるペドリーニョ元殺し屋)」**に改称された。キリスト教(福音派)に改宗し、洗礼を受けたのだ。

チャンネルでは現代の犯罪事件についてコメントしながら、「犯罪は冗談じゃない。多くの人間は枝(名声や金)ばかり見て、根(刑務所と死)を見ない。悪魔と同じだ — 片手で与え、もう片手で奪う」と視聴者に語りかけた。

チャンネル登録者数は最終的に約24万人、総再生回数は3640万回に達した。

71人を殺した男が犯罪を語る。その異様な構図は、ブラジル社会に大きな議論を巻き起こした。批判する者もいたが、支持する者も少なくなかった。ブラジルの犯罪学者イラーナ・カゾイは、ペドロの人気の背景にはブラジルの殺人事件解決率の低さ(約10%)があると分析している。法が裁けない犯罪者を殺してくれる存在への渇望が、ペドロを「ヒーロー」に仕立て上げたのだと。

晩年のペドロは、サンパウロ州の海岸部で心理療法士のイザ・トレドとその夫のもとに身を寄せていた。トレドはペドロの依頼で彼の伝記を執筆していた。


最期の日 — 2023年3月5日、路上の処刑

2023年3月5日、午前10時頃。

モジ・ダス・クルーゼスのジャルジン・ナウチコ地区、ジョゼ・ロドリゲス・ダ・コスタ通り。ペドロは親族の家の前の歩道を歩いていた。子どもを抱いていたとも報じられている。

そこへ一台の黒い車が近づいた。

車から覆面をした2人の男が飛び出し、ペドロに向けて発砲した。銃弾6発がペドロの体を貫いた。

そして倒れたペドロに近づいた実行犯の一人が、台所用のナイフでペドロの喉を掻き切った。ほぼ斬首に近い状態だったという。

実行犯たちはペドロの親族にこう告げた — 「あんたたちには関係ない。娘を連れて中に入れ」

そして別の白い車に乗り換えて逃走した。

救急隊が到着した時、ペドロは既に死亡していた。68歳だった。

71人を殺した男は、最後は自分自身が路上で殺された。


PCC(首都第一司令部)の影 — 暗殺の背景

ペドロの殺害事件は当初から謎に包まれていたが、捜査が進むにつれてブラジル最大の犯罪組織**PCC(Primeiro Comando da Capital / 首都第一司令部)**の関与が浮上した。

文民警察の調査によれば、事件の背景にはペドロと地元の麻薬密売人との対立があった。

ペドロは自宅近くのポンテ・グランデ地区で運営されていた麻薬の売買拠点に不満を抱いていた。幼い甥や姪が近くに住んでいたためだ。かつて100人以上を殺した男が、身近な子どもたちを麻薬から守ろうとしていたという皮肉な構図だった。

さらに、YouTubeチャンネルで麻薬組織の幹部を名指しで批判する動画を投稿していたことも、組織の怒りを買った原因とされている。

捜査当局は、ペドロの殺害はPCCの「許可」を得て実行されたと断定した。つまり、ブラジル最大の犯罪組織が「殺してよい」と認可した上での暗殺だったのだ。

警察は実行犯2人を特定したが、事件から1年が経過した2024年3月時点でも犯人は逮捕されていなかった。その後、PCC構成員1人が起訴されたと報じられている。

遺体はモジ・ダス・クルーゼスのサン・サルヴァドール墓地に埋葬された。


「ブラジルのデクスター」 — 文化的影響

ペドリーニョ・マタドールの存在は、ブラジル国内にとどまらず、国際的にも大きな文化的影響を与えた。

2003年にペドロの仮釈放が最初に計画された際、その「犯罪者を殺す犯罪者」という特異なプロフィールは、アメリカの作家ジェフ・リンジーの目に留まった。リンジーは2004年に小説「Darkly Dreaming Dexter」を発表。連続殺人犯でありながら犯罪者だけを標的にする主人公デクスター・モーガンは、ペドリーニョ・マタドールから部分的にインスピレーションを得ていた。

この小説は2006年にテレビドラマ「デクスター」として映像化され、世界的な大ヒットとなった。これにより、ペドロは国際メディアから**「ブラジルのデクスター」**という新たなニックネームで呼ばれるようになった。

また、2016年には日本の漫画「ダンガンロンパ」シリーズにおいても、ペドロをモデルにしたキャラクター(聖原拓実、藤川修二)が登場している。

ブラジルの犯罪作家イラーナ・カゾイの著書「Serial Killers — Made in Brazil」でも、ペドロは重要な事例として取り上げられている。


被害者と殺害方法の詳細

ペドロの殺人は大きく3つの時期に分類できる。

第1期:逃亡時代(11歳~18歳)

この時期の被害者は主に麻薬密売人とその関係者だった。殺害方法は銃器が中心で、麻薬密売所を襲撃する際に相手を射殺するパターンが多かった。結婚式襲撃事件では銃を乱射し、8人を殺害、16人を負傷させている。また、ボチーニャ殺害の情報を持つ者に対しては拷問を加えた後に殺害した。

第2期:刑務所内(18歳~52歳/57歳)

刑務所内での47件の殺害は、ほぼ全てがナイフ(ペイシェイラ等)か素手によるものだった。首を素手でへし折る、刺殺する、斬首するなど、その手口は多岐にわたった。護送車の中で手錠をかけられたまま隣の囚人を殺害した事例もある。父親の殺害では22回の刺突の後に胸部を切開して心臓を取り出している。

標的の選定は「犯罪者であること」が基本だったが、いびきがうるさいという理由で殺された囚人もおり、その基準は恣意的だった。

第3期:釈放後(52歳以降)

2007年の釈放後、ペドロが直接手を下した殺人は公式には記録されていない。2011年の再逮捕は過去の刑務所内犯罪に対するものであり、新たな殺人容疑ではなかった。


なぜペドリーニョ・マタドールがブラジル最悪なのか

ブラジルには多くの凶悪犯がいる。しかし、ペドロ・ロドリゲス・フィーリョが「最悪」である理由は、単純な被害者数だけではない。

被害人数: 有罪確定71人、自称100人超。ブラジル史上最多の殺人で有罪判決を受けた人物である。

猟奇度: 父親の心臓を噛みちぎるという行為は、世界の犯罪史を見渡しても類例が少ない。左腕の「殺しが快楽」の刺青は、彼の殺人が単なる手段ではなく目的そのものだったことを示している。

殺害手段の特異性: 素手で首をへし折る、手錠をかけられたまま護送車内で殺す、結婚式場で銃を乱射する。場所も手段も選ばない殺人のバリエーションは異常というほかない。

無差別性: 「犯罪者しか殺さない」という自己弁護とは裏腹に、いびきがうるさいだけで殺された囚人がいたこと、結婚式で無関係の出席者を巻き込んだことから、その実態は極めて無差別に近い。

14歳から68歳で殺されるまで、半世紀以上にわたって暴力とともに生きた男。刑務所に入っても殺し続け、出所してもなお犯罪組織と衝突し、最後は自らも路上で処刑された。

暴力に生まれ、暴力に生き、暴力に死んだ。

それがペドリーニョ・マタドール — ブラジルが生んだ最悪の殺人犯の、逃れようのない物語だった。


取材ソース一覧

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