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中国の犯罪史において、これほどまでに凄惨で、これほどまでに大規模な連続殺人事件は他に存在しない。 2000年から2003年にかけて、中国内陸部の4つの省をまたぎ、26件の事件で67人を殺害、23人の女性を暴行し、10人に重傷を負わせた男――楊新海(ヤン・シンハイ)。中国メディアは彼を「モンスターキラー」と呼んだ。
闇に紛れて農家に忍び込み、斧やハンマー、シャベルで一家全員を惨殺する。その犯行は極めて計画的でありながら、被害者の選定には一切の合理性がなかった。ただそこに人がいたから殺した。それが、楊新海という男の本質だった。 本記事では、中国が生んだ史上最悪の連続殺人犯の生い立ちから犯行の全容、逮捕、裁判、そして処刑に至るまでを徹底的に掘り下げる。
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1968年7月17日 | 河南省駐馬店市正陽県楊桃荘村に、6人兄弟の4番目として誕生。家庭は村で最も貧しい農家の一つだった |
| 1985年 | 17歳で家を飛び出し、学業を放棄。「寄宿学校に合格した」という嘘の手紙を残して失踪。中国各地を放浪する生活を始める |
| 1988年 | 陝西省西安市でレストランの金属製トレーを窃盗。逮捕され、労働改造所に収容される(初の有罪判決) |
| 1991年 | 河北省石家荘市で再び窃盗を犯し、2度目の労働改造所送り |
| 1992年 | 故郷に帰郷。幼なじみの女性が別の男性と結婚することを知る。以後、二度と故郷に戻らなかった |
| 1996年 | 河南省駐馬店市で強姦未遂事件を起こし逮捕。被害女性に舌の一部を噛みちぎられる。懲役5年の判決 |
| 1999年 | 恩赦により3年で出所。放浪生活を再開 |
| 2000年9月19日 | 【第1事件】河南省郭庄村。70代の老夫婦をレンガで頭部殴打し殺害。最初の殺人 |
| 2000年10月1日 | 【第2事件】安徽省椿樹荘。祖父(63歳)と孫2人を鉄棒で殺害、12歳少女を死後暴行 |
| 2001年8月15日 | 【第3事件】河南省車劉村。邱雲仙(43歳)と子ども2人を鉄ハンマーで頭部殴打し殺害、女性を屍姦 |
| 2001年秋頃 | 【第4事件】河南省康楼郷。2人殺害 |
| 2001年冬頃 | 【第5事件】河南省葉県付近。2人殺害 |
| 2002年1月27日 | 【第6事件】河南省通許県。一家3人をハンマーで殺害、女性を死後暴行 |
| 2002年6月30日 | 【第7事件】河南省柴崗郷。4人殺害、1人暴行 |
| 2002年7月28日 | 【第8事件】河南省鄧州。4人殺害、2人暴行 |
| 2002年10月22日 | 【第9事件】河南省寨湖村。父親と6歳の娘をシャベルで殺害。妊娠中の妻を暴行、頭部に重傷を負うも生存 |
| 2002年11月8日 | 【第10事件】安徽省高里村。4人殺害、2人暴行、1人重傷 |
| 2002年11月16日 | 【第11事件】河北省劉荘村。2人殺害、1人暴行 |
| 2002年11月19日 | 【第12事件】河北省石拐村。2人殺害 |
| 2002年12月1日 | 【第13事件】河北省閻湾村。2人殺害、1人暴行、1人重傷 |
| 2002年12月6日 | 【第14事件】河南省劉荘村(西平県)。午前1時、鉄ハンマーで劉占偉一家5人を殺害。孫娘の頭蓋骨に穴。妻は10日後に病院で死亡。68歳の祖父のみ生存 |
| 2002年12月13日 | 【第15事件】山東省泗家村。2人殺害 |
| 2002年12月15日 | 【第16事件】山東省小李荘。3人殺害、1人暴行 |
| 2003年2月5日 | 【第17事件】河南省苦荘郷。3人殺害、1人暴行、1人重傷 |
| 2003年2月18日 | 【第18事件】河南省赤瀛郷。4人殺害、2人暴行 |
| 2003年3月23日 | 【第19事件】河南省城関鎮。一家4人殺害、1人暴行 |
| 2003年4月2日 | 【第20事件】河南省三里寨村。2人殺害 |
| 2003年8月5日 | 【第21事件】河北省李道村。事前に盗んだ斧で孫勝軍一家3人を殺害。犯行後、庭で手を洗って逃走 |
| 2003年8月8日 | 【第22-26に相当・最後の犯行】河北省東梁郷村。野菜農家・魏現増の一家5人を殺害。累計:67人殺害・23人暴行・10人重傷 |
| 2003年11月3日 | 河北省滄州市で深夜パトロール中の警察が不審な男を発見。逃走しナイフで抵抗するも取り押さえられ逮捕。DNA鑑定で4省の連続殺人犯と確認 |
| 2004年2月1日 | 河南省漯河市中級人民法院にて死刑判決。楊新海は控訴せず |
| 2004年2月14日 | 銃殺刑により処刑。享年35歳。遺体は火葬された |
楊新海は1968年7月17日、中国河南省駐馬店市正陽県楊桃荘村に生まれた。6人兄弟の4番目として誕生した彼の家庭は、村の中でも最も貧しい部類に入る農家だった。 家族は居住スペース、台所、家畜小屋が一体となった粗末な小屋で暮らし、食卓に並ぶのは野草を摘んで作った料理ばかり。父親は暴力的な人物で、母親は家計のやりくりに追われる日々を送っていた。 幼少期の楊新海について、近隣住民は「頭の良い子だった」と証言している。学校では絵画の才能が認められ、学業でも賞を受けるほどの成績を収めていた。しかし、その一方で極端に内向的な性格で、同年代の子どもたちとほとんど交流を持たなかった。孤立した少年は、動物を虐待するという不穏な行動も見せていたとされる。 両親は息子の学力に期待をかけ、借金をしてまで高校の学費を工面した。しかし1985年、17歳になった楊新海は突如として家を飛び出す。家族には「寄宿学校に合格した」という嘘の手紙を残し、そのまま姿を消した。建設労働者として中国各地を放浪する生活が、ここから始まった。 1985年から1992年にかけて、彼が故郷に戻ったのはわずか3回。1992年を最後に、楊新海が生まれ故郷の土を踏むことは二度となかった。
放浪生活の中で、楊新海は次第に犯罪へと足を踏み入れていく。 1988年、陝西省西安市のレストランで金属製のトレーを盗んだ罪により逮捕され、労働改造所(中国の矯正施設)に送られた。これが彼にとって最初の有罪判決だった。 1991年、今度は河北省石家荘市で再び窃盗を犯し、2度目の労働改造所送りとなる。 出所後、楊新海は物乞いの小集団を率いて窃盗や強盗、暴行を繰り返すようになった。 1996年、河南省駐馬店市で女性に対する強姦未遂事件を起こす。被害女性は必死に抵抗し、楊新海の舌の一部を噛みちぎった。この事件で懲役5年の判決を受けたが、恩赦により3年で釈放され、1999年に出所した。 この間、楊新海の人生にはもう一つの転機があった。若い頃、幼なじみの女性と将来の結婚を約束していたとされる。しかし1992年に故郷へ戻った際、その女性が別の男性と結婚することを知った。一部の報道では、この失恋が彼の社会への憎悪を決定的なものにしたと分析されている。 ただし、楊新海自身は犯行の動機について明確な説明をすることはなかった。
1999年に出所した楊新海は、翌2000年9月19日に最初の殺人を犯す。 河南省周口市川匯区北郊郷郭庄村。深夜、村の西端にある平屋の一軒家に楊新海は忍び込んだ。住んでいたのは70代の老夫婦、楊培民と善蘭英だった。ドアの錠前を壊して室内に入ると、飼い犬が吠え始めた。楊新海は手近にあったレンガ(板磚)を掴み、寝ている老夫婦の頭部を繰り返し殴打した。2人は即死だった。金品を奪い、楊新海は闇の中に消えた。 翌日の午後1時過ぎ、村民が2人の遺体を発見した。血まみれの寝室に横たわる老夫婦の姿は、この静かな農村に衝撃を与えた。しかし、これがわずか3年で67人の命を奪う殺戮劇の始まりに過ぎないことを、誰も知る由はなかった。
最初の犯行でレンガという場当たり的な凶器を使った楊新海は、回を重ねるごとに「殺しの技術」を洗練させていった。 楊新海が主に使用した凶器は、木柄付きの八角鉄ハンマーだった。それ以外にも、鉄棒、斧、ナタ(菜刀)、ハサミ、尖ったナイフなど、複数の凶器を使い分けた。殺害方法も多岐にわたり、頭部への殴打、頸部の切断、胸腹部への刺突、縄による拘束といった手段が確認されている。 注目すべきは、楊新海の徹底した証拠隠滅能力である。彼は毎回新しいハンマーを用意し、犯行後には墓地の近くに埋めて処分した。血の付いた衣服は川に投棄した。犯行時には白い手袋を着用し、靴の上に靴下を被せて足跡を消した。毎回新しい服を着て、自分の足より大きなサイズの靴を履いた。移動は主に徒歩か自転車。数十里もの距離を夜通し歩いて犯行現場に向かい、同じく夜の闇に紛れて逃走した。 こうした反捜査能力の高さが、4省にまたがる3年間もの犯行を可能にした。
以下、確認されている楊新海の犯行を時系列で記す。各事件において判明している殺害方法を可能な限り詳細に記述する。
被害者:楊培民(70代)、善蘭英(70代)の夫婦。 凶器:レンガ(板磚)。 楊新海は深夜に錠前を壊して侵入。飼い犬が吠えたため、手近にあったレンガで就寝中の老夫婦の頭部を繰り返し殴打し殺害した。金品を奪って逃走。 死者2名。
被害者:63歳の祖父と12歳の孫娘を含む家族3人。 凶器:鉄棒。 楊新海は深夜に農家に侵入し、鉄棒で住人の頭部を殴打して祖父と孫2人を殺害した。殺害後、12歳の少女の遺体に対して性的暴行を加えた。これが楊新海の犯行において初めて確認された屍姦行為である。 死者3名。暴行1名(死後)。
被害者:邱雲仙(43歳)、その娘(12歳)、息子(9歳)。 凶器:鉄ハンマー。 村の外れにある邱雲仙の自宅に深夜侵入。楊新海は事前に定めた手順通り、まず9歳の息子の頭部をハンマーで殴打して殺害。続いて12歳の娘、最後に母親の邱雲仙の頭部を同様に叩き潰した。「先に男、後に女」という順序で殺害した後、邱雲仙と娘の遺体に対して屍姦を行った。 死者3名。屍姦2件。
被害者:2名(詳細不明)。 深夜の農家への侵入により2人を殺害。凶器や詳細な殺害方法については公開されていない。 死者2名。
被害者:2名(詳細不明)。 同じく農家への夜間侵入。殺害方法の詳細は不明。 死者2名。
被害者:一家3名。 凶器:ハンマー。 深夜に農家に侵入し、就寝中の家族3人の頭部をハンマーで殴打して殺害。女性被害者に対して殺害後に性的暴行を加えた。 死者3名。屍姦1件。
被害者:4名殺害、1名暴行。 鈍器による頭部殴打で一家4人を殺害。女性1人に対して死後性的暴行を行った。 死者4名。屍姦1件。
被害者:4名殺害、2名暴行。 一家4人を殺害した後、女性2人の遺体に対して性的暴行を加えた。 死者4名。屍姦2件。
被害者:父親、6歳の娘(死亡)、妊娠中の妻(重傷・生存)。 凶器:シャベル。 楊新海はシャベルを振るい、まず父親の頭部を殴打して殺害。続いて6歳の幼い娘の頭部をシャベルで叩き殺した。その後、妊娠中だった母親を暴行した。母親は頭部に複数の重傷を負ったが、奇跡的に一命を取り留めた。この事件は、楊新海の犯行の中で妊婦が被害に遭った事例として知られている。 死者2名。暴行1名。重傷1名(生存)。
被害者:4名殺害、1名重傷、2名暴行。 深夜に農家へ侵入し、鈍器で頭部を殴打して一家4人を殺害。1人は頭部に重傷を負い生存。女性2人に対して死後暴行を加えた。 死者4名。屍姦2件。重傷1名。
被害者:2名殺害、1名暴行。 就寝中の夫婦を襲い、鈍器で頭部を殴打して2人を殺害。女性に対して死後暴行。楊新海の犯行範囲が河北省にまで拡大した最初の事件。 死者2名。屍姦1件。
被害者:2名殺害。 第11事件からわずか3日後の犯行。農家に侵入して2人を殺害。性的暴行は確認されていない。 死者2名。
被害者:2名殺害、1名暴行、1名重傷。 鈍器による頭部殴打で2人を殺害。1人は重傷を負いながらも生存。女性に対して暴行を加えた。 死者2名。暴行1件。重傷1名。
被害者:劉占偉、その妻、母親、息子、娘の一家5名。 凶器:鉄ハンマー。 午前1時頃、楊新海は劉占偉の自宅に侵入した。木柄付きの鉄ハンマーを握りしめ、寝室に入ると手当たり次第に頭部を殴打していった。劉占偉、その母親、息子、娘は即死状態だった。幼い孫娘の頭蓋骨にはハンマーによって穴が空いていた。妻はかろうじて息があり、発見時にはまだ瞼をわずかに動かすことができたが、言葉を発することはできなかった。搬送先の病院で10日後に死亡した。唯一生き残ったのは、たまたまその夜だけ新築中の別宅で眠っていた68歳の祖父・劉中元だった。 楊新海は犯行後、使用したハンマーを付近の墓地に埋め、血まみれの衣服を近くの川に投棄して姿を消した。 死者5名。
被害者:2名殺害。 楊新海の犯行範囲が山東省にまで拡大。就寝中の住人2人を殺害。 死者2名。
被害者:3名殺害、1名暴行。 第15事件からわずか2日後。鈍器で一家3人の頭部を殴打して殺害。女性に対して死後暴行。 死者3名。屍姦1件。
被害者:3名殺害、1名暴行、1名重傷。 鈍器で頭部を殴打して3人を殺害。1人は重傷。女性に対して暴行。 死者3名。暴行1件。重傷1名。
被害者:4名殺害、2名暴行。 一家4人を就寝中に殺害。女性2人に対して死後暴行を加えた。 死者4名。屍姦2件。
被害者:4名殺害、1名暴行。 鈍器で一家4人を殺害。女性に対して死後暴行。 死者4名。屍姦1件。
被害者:2名殺害。 農家に侵入して2人を殺害。性的暴行は確認されていない。 死者2名。
被害者:孫勝軍とその家族、計3名。 凶器:斧。 楊新海は事前に近隣から斧を盗んでいた。深夜に孫勝軍の自宅に侵入し、盗んだ斧で一家3人の頭部を叩き割って殺害した。犯行後、血にまみれた手を庭の水場で洗い、悠然と立ち去った。 死者3名。
被害者:野菜農家の魏現増とその家族、計5名。 第21事件からわずか3日後。楊新海は石家荘市近郊の東梁郷村に現れ、野菜農家の魏現増一家に侵入した。一家5人全員を殺害した。 これが楊新海による最後の犯行となった。この時点での累計は、26件の事件で67人を殺害、23人の女性を暴行(うち多数が死後の屍姦)、10人に重傷を負わせるという、中国犯罪史上類を見ない記録だった。
楊新海の犯行が長期間にわたって解明されなかった最大の理由は、中国の広大な国土と、省をまたいだ捜査連携の欠如にある。 犯行現場は河南省、河北省、安徽省、山東省の4省に分散していた。中国の行政システム上、各省の公安局(警察)はそれぞれ独立して捜査を行う。ある省で発生した殺人事件の情報が、別の省の捜査機関と共有されることはほとんどなかった。楊新海はこの「縦割り捜査」の盲点を本能的に突いていた。一つの省で犯行を重ねると、すぐに隣の省に移動する。決して同じ地域に留まらない。この放浪者としての生活スタイルそのものが、彼を捜査網から逃れさせ続けた。 さらに、楊新海のターゲットは一貫して農村部の孤立した農家だった。施錠すらない家屋、防犯カメラも街灯もない暗闇の村、最寄りの交番まで何キロもある環境。被害者は声を上げる間もなく殺害され、発見されるのは翌日以降ということがほとんどだった。 転機となったのは、中国公安部(日本の警察庁に相当)の介入だった。河北省石家荘市で発生した直近の事件の現場から採取されたDNAが、他の省で起きた複数の未解決事件のDNAと一致。ここで初めて、省をまたいだ同一犯による連続殺人事件であることが判明した。
2003年11月3日深夜、河北省滄州市。 鉄道駅付近をパトロール中の警察官が、新華区の小学校前で不審な行動をとる男を発見した。深夜に学校の周囲をうろつくその男に声をかけると、男は突如として線路方向へ走り出した。警察官が追跡し、暗渠(あんきょ)付近で追い詰めると、男はポケットから折りたたみナイフを取り出して警察官に切りかかった。 格闘の末に取り押さえられた男こそ、楊新海だった。 身柄を拘束された楊新海は、取り調べの中で過去の犯罪歴を自白した。翌朝までに、4省で指名手配されていた連続殺人犯と同一人物であることが確認された。DNA鑑定が彼の犯行を科学的に裏付けた。 なお、捜査の過程で楊新海が犯行中に被害者の一人からHIVに感染していたことも判明している。 楊新海は逮捕後、自身が捕まらなければ天津市(人口1000万人超)、さらには首都・北京にまで犯行範囲を広げるつもりだったと供述した。農村部から都市部へ――彼の「計画」が実行されていれば、被害はさらに甚大なものになっていた可能性がある。
2004年2月1日、河南省漯河(ルオハー)市中級人民法院にて、楊新海に対する判決が言い渡された。 罪状は、故意殺人罪67件、強姦罪23件、故意傷害罪、強盗罪。判決は死刑。 楊新海は控訴しなかった。 裁判を通じて明らかになったのは、楊新海という人間の底知れない冷酷さだった。取り調べや裁判の中で、彼はいくつかの発言を残している。 「人を殺すのは普通のことだ。特別なことではない」 「人を殺すとき、欲望があった。それがもっと殺したいという衝動を生んだ。彼らが生きるに値するかどうかなど、私には関係ない。私は社会の一員になりたいとは思わない。社会は私の知ったことではない」 裁判所は、楊新海の犯行について「中国史上最長かつ最も凄惨な連続殺人」と認定した。
判決からわずか13日後の2004年2月14日、楊新海に対する死刑が執行された。 処刑方法は銃殺。中国における伝統的な死刑執行方法であり、後頭部への一発の銃弾によって命を絶つものである。 楊新海の遺体は火葬された。享年35歳だった。
楊新海事件は、中国の法執行機関と社会に対して多くの課題を突きつけた。 第一に、省をまたいだ広域犯罪に対する捜査体制の不備が浮き彫りになった。4つの省で26件もの事件が発生していながら、公安部が介入するまで同一犯であることすら把握できなかった。このDNA照合体制の欠如は、結果的に多くの命を失わせることになった。 第二に、農村部における治安の脆弱さが問題視された。楊新海のターゲットは一貫して人里離れた農村の家庭だった。施錠もなく、防犯設備もなく、最寄りの警察署まで何キロもあるような環境が、彼に犯行の機会を与え続けた。 第三に、貧困と犯罪の関連性について議論が巻き起こった。楊新海の逮捕からわずか9日後、同じ河南省駐馬店市出身の連続殺人犯・黄勇(ホアン・ヨン)が逮捕された。黄勇は17人の少年を殺害した人物で、2人の凶悪犯罪者が同じ貧困地域から生まれたことは、中国メディアに大きな衝撃を与えた。地方の経済格差と、そこから生まれる社会的疎外が犯罪を助長しているのではないかという議論が、この事件をきっかけに本格化した。 楊新海事件の後、中国は省間のDNA情報共有システムの構築や、広域犯罪に対する捜査連携の強化を進めることになる。