イタリア。芸術と美食の国として世界中の人々を魅了するこの国にも、その美しさとは対極にある暗い歴史が存在する。 1997年10月から1998年4月までのわずか6か月間で17人を殺害した男、ドナート・ビランチャ。「リグーリアの怪物(Il Mostro della Liguria)」「列車の殺人犯(L’assassino dei treni)」と呼ばれたこの男は、イタリアの犯罪史上、最も凶悪な連続殺人犯として記録されている。 被害者は男女を問わず、友人、宝石商夫妻、両替商、夜警、売春婦、列車の乗客、ガソリンスタンド従業員にまで及んだ。殺害の動機は復讐、強盗、そして「殺人の味を覚えた」という彼自身の言葉に集約される。 その犯行は無差別かつ広範囲にわたり、イタリア北部のリグーリア海岸一帯を恐怖のどん底に叩き落とした。彼はなぜ殺人鬼へと変貌したのか。本記事では、その生い立ちから17件の殺人事件の全容、逮捕、裁判、そして獄中での死に至るまでを徹底的に掘り下げる。
ドナート・ビランチャ 年表
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1951年7月10日 | バジリカータ州ポテンツァで誕生。父ロッコ・ビランチャ(公務員)、母アンナ・マッツァトゥーロ(主婦) |
| 1956年頃 | 家族でアスティ、サレルノ県カパッチョを経てジェノヴァに移住 |
| 幼少期~思春期 | 12歳頃まで夜尿症に苦しむ。母親が濡れたマットレスをバルコニーに干して近隣に晒す。叔母が従姉妹の前で裸にして嘲笑するなどの屈辱を受ける |
| 14歳頃 | 「ウォルター」と自称し始める。高校を中退し、窃盗で初めて逮捕される |
| 1974年 | 銃の不法所持で逮捕・投獄。ジェノヴァの精神病院に収容されるも脱走 |
| 1970年代~80年代 | イタリアとフランスで強盗・武装強盗を繰り返し、複数回の服役。重度のギャンブル依存症に陥る |
| 1987年3月23日 | 兄ミケーレが4歳の息子ダヴィデを抱いて走行中のインターシティ列車から身を投げ、親子ともに死亡。ドナートは深い絶望に陥り、死と列車への執着が始まる |
| 1997年10月16日 | 【第1の殺人】ジョルジョ・チェンタナーロ(58歳)をジェノヴァの自宅で絞殺 |
| 1997年10月24日 | 【第2・3の殺人】マウリツィオ・パレンティとその妻カルラ・スコットを射殺。1350万リラと時計を強奪 |
| 1997年10月27日 | 【第4・5の殺人】宝石商ブルーノ・ソラーリとマリア・ルイジア・ピットを自宅で射殺。金品を強奪 |
| 1997年11月13日 | 【第6の殺人】両替商ルチアーノ・マッロをヴェンティミーリアで射殺。約5000万リラを強奪 |
| 1998年1月25日 | 【第7の殺人】夜警ジャンジョルジョ・カヌー(52歳)をジェノヴァ近郊コルソ・アルメッリーニで射殺 |
| 1998年3月9日 | 【第8の殺人】アルバニア人売春婦ステラ・トルヤをヴァラッツェで頭部射殺 |
| 1998年3月18日 | 【第9の殺人】ウクライナ人売春婦リュドミラ・ズブスコヴァをピエトラ・リグレで頭部射殺 |
| 1998年3月20日 | 【第10の殺人】両替商エンツォ・ゴルニを強盗殺人 |
| 1998年3月24日 | 【第11・12の殺人】ノーヴィ・リグレでトランスジェンダー売春婦ロレーナ・カストロへの殺害を試みるも失敗。駆けつけた夜警マッシミリアーノ・グアリッロとカンディド・ランドを射殺 |
| 1998年3月29日 | 【第13の殺人】ナイジェリア人売春婦テッシー・アドド(エヴリン・エソヘ・エンドガイェ、27歳)を射殺 |
| 1998年4月12日 | 【第14の殺人】ラ・スペツィア発ヴェネツィア行きインターシティ列車内で看護師エリザベッタ・ゾッペッティ(32歳)をトイレで頭部射殺 |
| 1998年4月14日 | 【第15の殺人】マケドニア人売春婦クリスティーナ・ヴァッレを射殺 |
| 1998年4月18日 | 【第16の殺人】ジェノヴァ~サンレモ間の列車内でベビーシッターのマリア・アンジェラ・ルビーノを射殺。遺体を冒涜 |
| 1998年4月20日 | 【第17の殺人・最後の犯行】アルマ・ディ・タッジャのコニオーリ・スッドSAでガソリンスタンド従業員ジュゼッペ・ミレート(51歳)を射殺 |
| 1998年5月6日 | ジェノヴァのサン・マルティーノ病院前で逮捕。自宅から38口径リボルバーを押収 |
| 1998年5月14日 | 勾留8日目に自白を開始。2日間にわたり供述し、17件の殺人を図解つきで詳細に語る |
| 2000年4月12日 | 11か月の公判を経て、終身刑13回+殺人未遂等で懲役16~28年の判決。釈放不可 |
| 2016年 | 獄中で会計学の学位を取得(得点83/100) |
| 2017年 | 武装警官同伴で初の一時出所。ニッツァ・モンフェッラートの両親の墓参を許可される |
| 2020年12月17日 | パドヴァの「ドゥエ・パラッツィ」刑務所で新型コロナウイルスに感染し死亡。69歳。治療を拒否していた |
壊れた家庭で育った少年――ドナート・ビランチャの生い立ち
ドナート・ビランチャは1951年7月10日、イタリア南部バジリカータ州ポテンツァで生まれた。父ロッコ・ビランチャは公務員、母アンナ・マッツァトゥーロは主婦。兄のミケーレとともに、一見すると平凡な家庭に生まれたように見えた。 しかし、その家庭環境は深刻に機能不全であった。 ビランチャは幼少期から12歳頃まで夜尿症(おねしょ)に悩まされていた。問題はその症状そのものよりも、母親の対応にあった。母アンナは息子が濡らしたマットレスをバルコニーに干し、近隣住民の目にさらして息子を公然と辱めた。さらに叔母は、思春期前のビランチャを従姉妹たちの前で裸にし、発育の遅い体を嘲笑の的にしたという。 家庭には愛情も安らぎもなかった。後年の精神鑑定では、母親は「感情的に冷淡で、息子を侮辱し嘲笑することをためらわない女性」と評されている。唯一の心の拠り所は兄ミケーレの存在だった。 14歳のとき、ビランチャは自分を「ウォルター」と呼び始めた。本名を捨てるかのようなこの行動は、屈辱にまみれた幼少期からの逃避であったと分析されている。高校を中退し、メカニック、バーテンダーなどの職を転々としながら、次第に犯罪の世界に足を踏み入れていった。
犯罪者としての前半生――窃盗、強盗、そして精神病院
ビランチャの犯罪歴は未成年時代に始まっている。 最初の逮捕はスクーターの窃盗。続いてクリスマス用菓子を積んだトラックの盗難で再び逮捕された。ジェノヴァの裏社会で「レジェーラ(軽い奴)」と呼ばれる小悪党として、窃盗から空き巣、金庫破りへとエスカレートしていった。 1974年、銃の不法所持で逮捕・投獄。その後ジェノヴァの精神病院に収容されるが脱走に成功している。1970年代から80年代にかけては、イタリア国内のみならずフランスでも強盗・武装強盗を繰り返し、複数回の服役を経験した。 この時期から重度のギャンブル依存症にも陥っていた。カジノや賭博場に入り浸り、稼いだ金も盗んだ金もギャンブルに注ぎ込む生活。孤独な独身男の日常は、賭博と犯罪の無限ループだった。 しかし、ここまでのビランチャの犯罪歴に暴力犯罪は含まれていない。窃盗犯、強盗犯ではあったが、47歳になるまで暴力的な犯罪の記録は一切なかったのだ。 では、何がこの男を連続殺人犯に変えたのか。
兄の死――1987年3月23日の悲劇
1987年3月23日、ビランチャの人生を決定的に変える事件が起きた。 兄ミケーレは当時、妻との離婚問題を抱えていた。その日、ミケーレは4歳の息子ダヴィデを抱いたまま走行中のインターシティ列車から身を投げた。親子ともに死亡。 唯一の理解者であり、壊れた家庭の中で唯一心を通わせることができた兄の死。しかもそれが列車への飛び込みという凄惨な形で、幼い甥を道連れにしたものだった。ビランチャは深い絶望に陥った。 後年の精神分析では、この出来事がビランチャの中に「死への執着」と「列車への病的な固着」を植え付けたとされている。事実、彼が後に「列車の殺人犯」と呼ばれることになるのは、偶然ではなかった。 兄の死から約10年。ギャンブル依存を抱えながら犯罪と服役を繰り返していたビランチャは、1997年、46歳にしてついに一線を越える。
殺人の始まり――賭博での裏切りが引き金に
1997年、ビランチャはジェノヴァの知人ジョルジョ・チェンタナーロが運営する賭博場で、仕組まれたイカサマのカードゲームに嵌められ、約18万5000ポンド(当時の日本円で数千万円相当)を失った。 長年の賭博仲間だと信じていた相手に裏切られた怒りは、ビランチャの中に制御不能な殺意を芽生えさせた。
17件の殺人事件 全記録
【第1の殺人】1997年10月16日 ジョルジョ・チェンタナーロ(58歳)
ビランチャ最初の犠牲者は、賭博でイカサマを仕掛けた張本人だった。 ジェノヴァのチェンタナーロの自宅を訪れたビランチャは、この男を素手で絞め殺した。口にはテープが貼られていた。当初、警察はこの死を心臓発作として処理した。賭博場の主催者の「自然死」に疑いの目を向ける者はいなかった。 ここからビランチャの殺人は加速していく。
【第2・3の殺人】1997年10月24日 マウリツィオ・パレンティ&カルラ・スコット夫妻
チェンタナーロ殺害から8日後、ビランチャはイカサマのカードゲームを主導した人物、マウリツィオ・パレンティの自宅を襲った。 パレンティとその新妻カルラ・スコットは新婚旅行から帰宅したばかりだった。ビランチャは38口径のリボルバーでパレンティの頭部を撃ち抜き、続けてカルラも射殺した。自宅から1350万リラ(当時の日本円で約100万円相当)と複数の高級時計を奪って逃走した。 復讐と強盗。この二つの動機がビランチャの初期の犯行を支配していた。
【第4・5の殺人】1997年10月27日 ブルーノ・ソラーリ&マリア・ルイジア・ピット夫妻
わずか3日後、ビランチャはジェノヴァのマラッシ地区ヴィア・モンティチェッリに住む宝石商ブルーノ・ソラーリの自宅を急襲した。 当初の目的は強盗だった。ビランチャはソラーリを尾行して自宅を突き止め、侵入を試みた。しかし妻のマリア・ルイジア・ピットが悲鳴を上げたため、ビランチャは二人ともに発砲して射殺した。金品を奪って逃走。 なお、この犯行時、自宅にいた家政婦がバルコニーに身を隠して生き延びている。
【第6の殺人】1997年11月13日 ルチアーノ・マッロ
ビランチャはフランスとの国境に近い町ヴェンティミーリアで、両替商ルチアーノ・マッロを襲った。 マッロの店舗に押し入り、38口径のリボルバーで射殺。約5000万リラ(当時の日本円で約370万円相当)を奪った。完全な強盗殺人だった。
【第7の殺人】1998年1月25日 ジャンジョルジョ・カヌー(52歳)
約2か月の沈黙の後、ビランチャは再び銃を手にした。 ジェノヴァ近郊コルソ・アルメッリーニで、夜間警備員(メトロノッテ)のジャンジョルジョ・カヌーを射殺。金銭目的ではなかった。後の供述でビランチャは、制服を着た人間に対する理由不明の嫌悪感があったと語っている。 この殺人から、ビランチャの犯行動機は復讐や金銭から逸脱し、より不可解で衝動的なものへと変質し始める。
【第8の殺人】1998年3月9日 ステラ・トルヤ
3月に入ると、ビランチャの殺人は新たなフェーズに突入した。ターゲットが路上の売春婦に移ったのだ。 リグーリア海岸の町ヴァラッツェで、アルバニア人の売春婦ステラ・トルヤの頭部を至近距離から撃ち抜いて殺害した。強盗の形跡はなく、性的暴行の証拠もなかった。 ビランチャは後に「殺人の味を覚えてしまった(I got myself a taste for murder)」と語っている。この言葉が示すように、もはや殺人それ自体が目的と化していた。
【第9の殺人】1998年3月18日 リュドミラ・ズブスコヴァ
9日後、同じリグーリア海岸のピエトラ・リグレで、ウクライナ人売春婦リュドミラ・ズブスコヴァが頭部を撃たれて死亡しているのが発見された。 手口は前回と酷似。38口径のワッドカッター弾、頭部への一発。ビランチャの犯行パターンが形成されつつあった。
【第10の殺人】1998年3月20日 エンツォ・ゴルニ
売春婦の殺害から一転、わずか2日後にビランチャは再び両替商を標的にした。 エンツォ・ゴルニの店舗に押し入り、射殺のうえ現金を強奪。ルチアーノ・マッロの殺害と同じ手口の強盗殺人だった。
【第11・12の殺人】1998年3月24日 マッシミリアーノ・グアリッロ&カンディド・ランド
この夜、ノーヴィ・リグレでビランチャは最も血生臭い惨劇を引き起こした。 ビランチャはトランスジェンダーの売春婦ロレーナ・カストロ(ベネズエラ人)を銃で脅していた。その騒ぎに気づいた2人の夜間警備員、マッシミリアーノ・グアリッロとカンディド・ランドが駆けつけた。ビランチャは容赦なく二人を射殺した。 しかし、ロレーナ・カストロは逃走に成功し、一命を取り留めた。病院に搬送された彼女は、犯人の顔の特徴を警察に証言。これが後にビランチャ逮捕の決定的な手がかりとなる。
【第13の殺人】1998年3月29日 テッシー・アドド(エヴリン・エソヘ・エンドガイェ、27歳)
夜警2人を殺害してからわずか5日後、ビランチャは次の犯行に及んだ。 ナイジェリア人売春婦テッシー・アドド(本名エヴリン・エソヘ・エンドガイェ)、27歳を射殺。 この殺人は捜査上の転機となった。それまでバラバラに処理されていた複数の未解決殺人事件が、使用された弾丸の一致などから同一犯によるものだという認識が捜査当局の間で共有され始めたのだ。
【第14の殺人】1998年4月12日(復活祭) エリザベッタ・ゾッペッティ(32歳)
ビランチャの犯行は、ここから新たな恐怖の段階に入った。列車内での殺人である。 復活祭の日、ラ・スペツィア発ヴェネツィア行きのインターシティ列車に乗り込んだビランチャは、スケルトンキー(万能鍵)を使ってトイレの個室に侵入した。中にいたのはミラノ在住の看護師エリザベッタ・ゾッペッティ、32歳。ビランチャは彼女の頭部を至近距離から撃ち抜いた。列車の乗車券を盗んで逃走。 一般市民が移動中の列車内で殺害されるという衝撃的な事件は、イタリア全土にパニックを引き起こした。
【第15の殺人】1998年4月14日 クリスティーナ・ヴァッレ
列車殺人からわずか2日後、ビランチャは再び売春婦を標的にした。 マケドニア人売春婦クリスティーナ・ヴァッレを射殺。殺人のペースはもはや止まることを知らなかった。
【第16の殺人】1998年4月18日 マリア・アンジェラ・ルビーノ
4月18日、ビランチャは再び列車に乗り込んだ。今度はジェノヴァ~サンレモ間の列車だった。 ベビーシッターのマリア・アンジェラ・ルビーノ(32歳)がトイレに入ったところを、スケルトンキーで侵入。彼女を跪かせ、額を至近距離から撃ち抜いた。 そして、ビランチャはルビーノの遺体に対して自慰行為に及んだ。衣服で痕跡を拭き取って逃走。その上、殺害の際にはルビーノのジャケットを銃口に巻きつけて消音器代わりにしていた。 この事件は、ビランチャの異常性が最も露わになった犯行であった。
【第17の殺人・最後の犯行】1998年4月20日 ジュゼッペ・ミレート(51歳)
列車殺人から2日後の4月20日、ビランチャはジェノヴァ~ヴェンティミーリア間の高速道路にあるコニオーリ・スッド・サービスエリア(アルマ・ディ・タッジャ)で給油した。 ガソリンスタンド従業員のジュゼッペ・ミレート、51歳。ビランチャがツケ払いを求めたところ断られたため、38口径のリボルバーでミレートを射殺。現金約200万リラ(約15万円相当)を奪って逃走した。 これがビランチャ最後の犯行となった。
捜査の突破口――生き残った証人と一台の黒いメルセデス
ビランチャの犯行が長期間発覚しなかった最大の理由は、その犯行パターンの不統一さにあった。 被害者は男女を問わず、友人、宝石商、両替商、夜警、売春婦、列車の乗客、ガソリンスタンド従業員と極めて多岐にわたった。動機も復讐、強盗、性的衝動、衝動的殺人とバラバラ。これほどまでにプロファイリングが困難な連続殺人犯は珍しく、各事件は当初、別々の犯人によるものとして処理されていた。 しかし、二つの決定的な手がかりがビランチャを追い詰めた。 第一は、1998年3月24日に生き延びたトランスジェンダー売春婦ロレーナ・カストロの証言だ。彼女は犯人の容姿を詳細に警察に伝え、この証言が犯人像の絞り込みに大きく貢献した。 第二は、ビランチャが乗っていた黒いメルセデス・ベンツ。売春婦の証言などからこの車両が浮上し、さらにビランチャが正規の手続きなしにメルセデスを売却していたこと、犯行現場周辺で交通違反の切符が切られていたことから、捜査線上に彼の名前が挙がった。 2つの列車殺人が「まともな市民」を標的にしたことで世論の怒りが爆発し、大規模な捜査チームが編成された。ビランチャが「最重要容疑者」として特定された後、10日間の監視が行われた。その間に回収されたタバコの吸い殻やコーヒーカップから採取されたDNAが、複数の犯行現場から検出されたDNAと一致。
逮捕と自白――1998年5月6日
1998年5月6日、ビランチャはジェノヴァのサン・マルティーノ病院前でベスパに乗ろうとしたところを逮捕された。自宅からは犯行に使用された38口径のスミス&ウェッソン・リボルバーが押収された。 勾留から8日後、ビランチャは突如として自白を始めた。その供述は2日間にわたり、17件の殺人事件すべてについて詳細に語った。それぞれの殺害状況を図解入りで説明し、担当検察官ズッカを驚愕させたという。 ビランチャは殺人行為について「火に包まれるような感覚」「頭の中を何かに噛みつかれるような衝動」と表現した。犯行を意識的に行ったものではなく「病気に取り憑かれていた」と主張し、明確な反省や後悔の言葉を口にすることは一度もなかった。
裁判と判決――終身刑13回
2000年4月12日、11か月に及ぶ公判を経て、ビランチャに対する判決が下された。 殺人罪13件で終身刑13回。加えて、ロレーナ・カストロに対する殺人未遂、強盗、銃の不法所持、遺体冒涜などで16年から28年の追加刑(情報源により異なる)。裁判所は「いかなる場合も釈放してはならない」と付した。 精神科医ヴィットリーノ・アンドレオーリによる精神鑑定が実施されたが、ビランチャは責任能力ありと判断された。控訴も棄却され、判決は確定した。
獄中の22年間――「模範囚」の仮面
終身刑に服したビランチャは、獄中では「模範囚」として振る舞った。 2016年、5年間の学習を経て会計学の学位を取得(得点83/100)。その後、大学レベルの観光文化マネジメントの課程にも進んだ。障害者手当をダウン症の子どものスポンサーに充てるなど、表向きには更生の姿勢を見せていた。 2017年には武装警官の同伴のもと、初の一時出所が認められ、ピエモンテ州ニッツァ・モンフェッラートの両親の墓参を果たしている。しかし2019年の再度の一時出所申請は却下された。当局は「依然として危険であり、フラストレーションや怒りの瞬間を適切に管理する能力がない」と判断した。 何より重要なのは、ビランチャが生涯を通じて一度も犯行を明確に後悔しなかったという事実だ。「病気に取り憑かれていたから意識的に犯したものではない」という主張を最後まで撤回しなかった。
死――2020年12月17日
2020年、新型コロナウイルスのパンデミックがイタリアの刑務所にも猛威を振るった。 パドヴァの「ドゥエ・パラッツィ」刑務所に収監されていたビランチャは、COVID-19に感染。しかし彼は治療を拒否した。死の直前、カトリックの司祭との面会を求めたという。 2020年12月17日、ドナート・ビランチャは69歳で死亡した。イタリア史上最悪の連続殺人犯は、パンデミックという予期せぬ形でその生涯を終えた。
ビランチャはなぜ「イタリア史上最悪」なのか
ドナート・ビランチャが「イタリア史上最悪の連続殺人犯」と呼ばれる理由は、単なる被害者数の多さだけではない。 第一に、その無差別性。友人、夫婦、宝石商、両替商、夜警、外国人売春婦、列車の乗客、ガソリンスタンド従業員。老若男女を問わず、イタリア人も外国人も関係なく殺害した。これほど被害者の属性がバラバラな連続殺人犯は世界的にも珍しい。 第二に、その速度。わずか6か月で17人。平均すると約10日に1人のペースで人を殺し続けた計算になる。 第三に、その冷酷さ。列車内でスケルトンキーを使ってトイレに侵入し、密室で無防備な女性を射殺する。遺体に対する性的冒涜行為。そして一切の後悔を示さない態度。 第四に、犯行パターンの不統一さ。動機も手口も被害者の選定基準もバラバラであったがゆえに、捜査は極めて困難を極めた。ビランチャ自身はこの「一貫性のなさ」を意図的に使っていたわけではないが、結果としてそれが彼の犯行の発覚を遅らせた。 イタリアには「フィレンツェの怪物」(1968年~1985年、8組のカップル16人殺害)という未解決の連続殺人事件も存在するが、犯人が特定されていない点でビランチャとは性質が異なる。確定した犯人としてイタリア史上最多の17人を殺害したビランチャは、紛れもなくこの国の犯罪史における最悪の存在である。
被害者一覧
| No. | 日付 | 被害者名 | 場所 | 殺害方法・状況 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1997年10月16日 | ジョルジョ・チェンタナーロ(58歳) | ジェノヴァ | 自宅で絞殺。口にテープ。イカサマ賭博への復讐。当初は心臓発作として処理 |
| 2 | 1997年10月24日 | マウリツィオ・パレンティ | ジェノヴァ | 38口径リボルバーで頭部射殺。イカサマ賭博の主犯格への復讐 |
| 3 | 1997年10月24日 | カルラ・スコット(パレンティの妻) | ジェノヴァ | 頭部射殺。新婚旅行から帰宅直後だった。1350万リラと時計を強奪 |
| 4 | 1997年10月27日 | ブルーノ・ソラーリ | ジェノヴァ・マラッシ地区 | 宝石商。強盗目的で自宅に侵入し射殺 |
| 5 | 1997年10月27日 | マリア・ルイジア・ピット(ソラーリの妻) | ジェノヴァ・マラッシ地区 | 悲鳴を上げたため射殺。家政婦はバルコニーに隠れて生存 |
| 6 | 1997年11月13日 | ルチアーノ・マッロ | ヴェンティミーリア | 両替商。店舗で射殺。約5000万リラを強奪 |
| 7 | 1998年1月25日 | ジャンジョルジョ・カヌー(52歳) | ジェノヴァ近郊 | 夜間警備員。「制服への嫌悪」を理由に射殺 |
| 8 | 1998年3月9日 | ステラ・トルヤ | ヴァラッツェ | アルバニア人売春婦。頭部を至近距離から射殺 |
| 9 | 1998年3月18日 | リュドミラ・ズブスコヴァ | ピエトラ・リグレ | ウクライナ人売春婦。頭部射殺 |
| 10 | 1998年3月20日 | エンツォ・ゴルニ | 不明 | 両替商。店舗で射殺のうえ現金強奪 |
| 11 | 1998年3月24日 | マッシミリアーノ・グアリッロ | ノーヴィ・リグレ | 夜間警備員。売春婦への暴行に駆けつけたところを射殺 |
| 12 | 1998年3月24日 | カンディド・ランド | ノーヴィ・リグレ | 夜間警備員。同僚グアリッロとともに射殺。ロレーナ・カストロは逃走し生存 |
| 13 | 1998年3月29日 | テッシー・アドド(エヴリン・エソヘ・エンドガイェ、27歳) | 不明 | ナイジェリア人売春婦。射殺。この事件で複数事件の統合捜査が開始 |
| 14 | 1998年4月12日 | エリザベッタ・ゾッペッティ(32歳) | ラ・スペツィア~ヴェネツィア間IC列車内 | 看護師。スケルトンキーでトイレに侵入し頭部射殺。乗車券を窃取 |
| 15 | 1998年4月14日 | クリスティーナ・ヴァッレ | 不明 | マケドニア人売春婦。射殺 |
| 16 | 1998年4月18日 | マリア・アンジェラ・ルビーノ(32歳) | ジェノヴァ~サンレモ間列車内 | ベビーシッター。跪かせて額を射殺。ジャケットを消音器代わりに使用。遺体に自慰行為 |
| 17 | 1998年4月20日 | ジュゼッペ・ミレート(51歳) | アルマ・ディ・タッジャ コニオーリ・スッドSA | ガソリンスタンド従業員。ツケ払いを拒否されたため射殺。約200万リラ強奪 |
※上記のほか、ロレーナ・カストロ(ベネズエラ人トランスジェンダー)への殺人未遂あり(1998年3月24日、ノーヴィ・リグレ)。彼女は逃走に成功し生存、裁判で重要な証言を行った。
出典・参考ソース
Wikipedia英語版「Donato Bilancia」
Wikipedia日本語版「ドナート・ビランチャ」
Il Fatto Quotidiano「La vera storia di Donato Bilancia, il piu temuto serial killer italiano」(2020年12月20日)
Il Giornale「17 delitti in 6 mesi, nessun rimorso: la storia di Donato Bilancia」
Primocanale.it「”Ti ricordi Bilancia?” 17 vittime scelte per odio e per caso」
Sky TG24「5 anni dalla morte di Donato Bilancia a Padova, la storia del killer e delle sue 17 vittime」(2025年12月17日)
Corriere dell’Umbria「Donato Bilancia, chi era il serial killer dei treni: dal suicidio del fratello al primo omicidio」
Crime+Investigation UK「Italy’s most prolific serial killers — Overview & Analysis」
Murderpedia「Donato Bilancia」
Giulia Montanari / Medium「The Monster Of The Riviera: Italy’s Most Prolific Serial Killer」


