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裏あおいみゆ 海外ニュース

【裏あおいみゆ】イギリス史上最悪の殺人鬼 「フレッド&ローズ・ウェスト夫妻」

2026年04月12日 | 約34分で読めます | japan_miyu_

イギリスで「最も最悪の殺人犯」を一人選ぶとしたら、誰になるのか。

被害人数だけで見れば、GP(かかりつけ医)として200人以上の患者を薬殺したハロルド・シップマンが圧倒的だ。しかし、「猟奇度」「殺害手段の異常性」「無差別性」を含めた4つの基準で総合的に判断すると、答えは一つしかない。

グロスター州クロムウェル通り25番地 ── 後に「恐怖の館(House of Horrors)」と呼ばれることになるこの家を拠点に、1967年から1987年までの約20年間にわたり、少なくとも12人の若い女性を拷問・強姦・殺害・切断し、遺体を自宅の地下室や庭に埋め続けた夫婦がいる。

フレデリック・ウォルター・スティーブン・ウェスト(通称フレッド)と、その妻ローズマリー・ポーリン・ウェスト(通称ローズ)。

実の娘2人を含む被害者たちは、拘束され、性的暴行を受け、身体を切断された上で、家の地下や庭の土中に押し込められた。被害者の膝蓋骨や指の骨が「記念品」のように持ち去られ、今なお発見されていないという事実が、この事件の異常性を物語っている。


目次

フレッド・ウェストの生い立ち ── 闇を宿した田舎の少年

フレデリック・ウォルター・スティーブン・ウェストは、1941年9月29日、イングランド・ヘレフォードシャー州マッチ・マーカル村のビッカートン・コテージで生まれた。父ウォルター・スティーブン・ウェスト(1914年 – 1992年)は搾乳を担当する牧場労働者、母デイジー・ハナ・ヒル(1922年 – 1968年)は農家の出身だった。

フレッドは家族の中で最初に生き延びた子供であり、複数の弟妹がいた。1946年に一家はムーアコート・コテージに転居し、父の勤め先の牧場に隣接した環境で育った。

学校では「不潔で、ぼんやりしていて、無気力」と級友たちに評されていたフレッドだが、木工と美術にだけは才能を示した。1956年12月、15歳で学校を中退した時点で、彼の読み書き能力は7歳児程度だったとされる。学業を諦めた後、彼は日常的に軽犯罪を繰り返すようになった。

フレッドの家庭環境には深い闇があった。後年フレッドは「父親から性的虐待を受けていた」「母親とも性的関係があった」と主張しているが、末弟ダグラスはこれらの主張を「妄想」として完全に否定している。真偽は不明だが、フレッドが極めて歪んだ性的感覚を持つ人間に成長したことは事実だ。

1961年、フレッドは13歳の妹キティへの近親姦で逮捕された。この性的虐待は1960年12月頃から始まっていたとされる。しかし、1961年11月9日の公判でキティが証言を拒否したため、裁判は不成立となった。この事件により、家族の多くがフレッドと絶縁した。


ローズ・ウェストの生い立ち ── 虐待が生んだもう一人の怪物

ローズマリー・ポーリン・レッツは、1953年11月29日、イングランド・デヴォン州ノーサムで生まれた。7人きょうだいの6番目で、貧しい家庭に育った。

ローズの家庭環境もまた、凄惨なものだった。父ウィリアム・アンドリュー・「ビル」・レッツは偏執性統合失調症と診断されており、家庭内で極度の暴力と性的虐待を行っていた。ビルはローズと長姉パトリシアに対して性的虐待を加えていたとされている。母デイジー・グウェンドリン・フラーは重度の鬱病を患い、ローズの妊娠中および出産後に電気けいれん療法を受けていた。

こうした環境で育ったローズは、学業成績が振るわず、不安定で気分の変動が激しいティーンエイジャーとなった。両親の離婚後、ローズは母親と父親の間を行き来する生活を送った。

そして13歳の頃、ローズは弟のグレアムとゴードンに対して性的虐待を始めた。これは後に繰り返される彼女の加害パターンの最初の兆候だった。


運命の出会い ── フレッドとローズ、1969年

1969年初頭、チェルトナムのバス停で27歳のフレッドと15歳のローズは出会った。

ローズは最初、フレッドの外見に嫌悪感を覚えたという。しかし、フレッドの執拗なアプローチ ── 見知らぬ女性を使って職場にプレゼントを届けさせるなどの手口 ── により、ローズは次第に心を開いていった。フレッドは「前妻に捨てられた幼い娘たちの面倒を見てほしい」と同情を誘い、数週間のうちにローズをパン屋の仕事から引き離し、自分の娘アンナ・マリーとシャーメインの乳母に仕立て上げた。

ローズの父ビルはフレッドを脅し、ローズの母もフレッドを「病的な嘘つき」と見抜いていた。しかし、15歳の少女はすでにこの男に取り込まれていた。

1969年8月、ローズは「問題を抱えた10代の少女のための施設」に入れられた。しかし翌1970年2月、警察の医師によりローズの妊娠が確認される。1970年10月17日、娘ヘザー・アンが誕生した。

こうしてフレッドとローズの共同生活が本格的に始まった。後に「イギリス犯罪史上最悪のパートナーシップ」と呼ばれることになる、地獄への序章だった。


最初の犠牲者 ── アン・マクフォール(1967年7月頃)

フレッドの犯行歴は、ローズとの出会いよりも前に始まっている。

1967年7月頃、フレッドの愛人だった18歳のアン・マクフォールが姿を消した。彼女はフレッドの子供を妊娠していた。失踪届は提出されず、誰もマクフォールの行方を追わなかった。

1994年6月、マッチ・マーカル近郊のトウモロコシ畑から彼女の遺体が発見された。遺体はバラバラに切断されており、手首にはガウンの紐で拘束された痕跡があった。そして、指の骨が「記念品」として持ち去られていた ── これは後のウェスト夫妻の犯行すべてに共通する、不気味な特徴となる。


シャーメイン・ウェスト殺害(1971年6月頃) ── ローズ単独の犯行

1970年12月、フレッドは車のタイヤと税金ディスクの窃盗で収監され、1971年6月24日まで服役した。

この服役中に、8歳のシャーメイン(フレッドの前妻レナの連れ子)が姿を消した。歯科記録と近隣住民の証言から、シャーメインはフレッドの出所前 ── つまり1971年6月20日頃 ── に死亡したことが確認されている。

シャーメインを殺害したのはローズだった。フレッドが不在の間、ローズは3人の子供たちに対して激しい身体的・精神的虐待を加えており、シャーメインはその怒りの果てに命を奪われたとされている。

遺体は当初ミッドランド・ロードの石炭貯蔵庫に隠され、後に裏庭に埋められた。発掘された遺体からは膝蓋骨、指骨、足指骨が欠損していた。ローズは近隣住民に「シャーメインは実の母親(レナ)に引き取られた」と説明した。

この事件は、ローズが単独で殺人を実行できる人間であることを証明する重要な事実となった。


レナ・ウェスト殺害(1971年8月頃) ── 前妻の口封じ

フレッドの出所後、前妻レナ(キャサリン・「レナ」・バーナデット・コステロ)が子供たちの様子を確認するために訪ねてきた。

1971年8月後半、レナは殺害された。絞殺されたと考えられており、フレッドのフォード・ポピュラー車内で犯行が行われた可能性がある。遺体と共に発見された金属製のチューブは、拘束および性的暴行に使用された可能性を示唆していた。

レナの遺体は徹底的にバラバラに切断され、ビニール袋に入れられて、マッチ・マーカルから約1マイルのレターボックス・フィールドにあるイチイの木立の近くに埋められた。


クロムウェル通り25番地 ── 「恐怖の館」の誕生

1972年1月29日、フレッドとローズはグロスター登記所で正式に結婚した。証人はフレッドの弟ジョンのみで、親族や友人は一人も出席しなかった。フレッドは婚姻届に「独身」と虚偽記載した。

1972年6月1日、次女メイ・ジューンが誕生。間もなく一家はグロスター市クロムウェル通り25番地の3階建て住宅に転居した。当初は自治体からの賃貸だったが、後にマーガレット・サッチャー政権下の「Right to Buy」制度を利用し、7,000ポンドで購入した。

この家が、以後20年近くにわたって少なくとも9人の若い女性の命が奪われ、遺体が隠された「恐怖の館」となる。

フレッドは上層階を下宿人向けに改装して家賃収入を得る一方、地下室に「性的拷問の部屋」を設えた。天井の梁には被害者を吊るすための穴が開けられ、ボンデージ・スーツ、拘束具、大量のポルノグラフィが所持されていた。

ローズは1階の一室を「マンディの部屋」(ローズの仕事用の偽名)として売春の場に使用した。部屋には専用の赤いランプ、バーカウンター、のぞき穴、ベビーモニターが設置され、フレッドは隠し覗き穴から行為を観察した。専用の呼び鈴で客を迎え入れ、ローズは部屋の唯一の鍵を首から下げていた。

1983年までにローズは8人の子供を出産したが、そのうち少なくとも3人は売春の客との間の子だった。フレッドはそれらの子供も自分の子として受け入れた。


連続殺人の始まり ── 地下室の犠牲者たち

キャロライン・オーウェンズへの暴行事件(1972年12月6日)

連続殺人が本格化する直前、フレッドとローズの犯行パターンが初めて法的に記録された事件がある。

1972年10月、17歳のキャロライン・オーウェンズがウェスト家の乳母として雇われた。オーウェンズは後に、当時8歳だったアンナ・マリーが「極端に内向的だった」ことを証言している。

12月6日、フレッドとローズはヒッチハイク中のオーウェンズを車に乗せ、偽の謝罪と送り届けるという口実で誘い込んだ。後部座席でローズが体を触り始め、フレッドがオーウェンズの最近の性体験について質問した。抵抗した彼女にフレッドは「このアマ」と罵声を浴びせ、殴って気絶させ、スカーフとダクトテープで拘束した。

クロムウェル通り25番地に連れ込まれたオーウェンズは、薬物入りの紅茶を飲まされ、猿轡をされた上で長時間にわたる性的暴行を受けた。フレッドは「黒人の友人たちのために地下室に閉じ込めてやる」「グロスターの敷石の下に埋めてやる」と脅迫し、「何百人もの少女を殺してきた」と豪語した。

翌日、コインランドリーからの外出中に辛うじて逃走したオーウェンズは、体中のミミズ腫れや痣を見た母親の通報により事件が発覚した。

しかし、1973年1月12日のグロスター治安判事裁判所での公判で、オーウェンズは証言台に立つことができなかった。告訴は「わいせつ暴行」と「実際の身体的傷害」に減刑され、夫妻にはそれぞれわずか50ポンドの罰金が科されただけだった。

判決を聞いたオーウェンズは自殺を図った。

この異常なほど軽い処分が、その後の惨劇を防ぐ最後のチャンスを潰した。フレッドとローズは「被害者さえ黙らせれば何をしても大丈夫だ」と学んだのだ。

リンダ・ゴフ殺害(1973年4月20日頃)

19歳のリンダ・ゴフは、クロムウェル通り25番地の男性下宿人を通じてウェスト夫妻と知り合った。1973年4月19日にウェスト家に移り住んだが、翌日には姿を消した。

彼女の口は接着テープと医療用テープで巻かれ、鼻腔にはチューブが挿入されて呼吸が確保された状態で、天井の梁から吊るされた。絞殺または窒息死したとされる。遺体はバラバラに切断され、ガレージ下の点検用穴に埋められた。頸椎5個、膝蓋骨、指の骨が欠損していた。

ゴフの失踪後、ローズは彼女の衣服やスリッパを身につけていた。ゴフの母親が娘を探しに来た際、ローズは玄関先で娘の衣服を着たまま「ここにはいません」と追い返した。

キャロル・アン・クーパー殺害(1973年11月10日頃)

15歳のキャロル・アン・クーパーは、ウスター市パインズ児童養護施設に入所していた少女だった。11月10日夜、ボーイフレンドとの映画鑑賞後、ウォーンドンのバス停で待っていたところを拉致された。

顔は医療用テープで覆われ、腕は編み紐で縛られた。天井の梁から吊るされた状態で、絞殺または窒息死した。遺体は切断され、地下室の浅い立方体状の穴に埋められた。フレッドは後に彼女を手の火傷痕から「スカー・ハンド」と呼んでいた。

ルーシー・パーティントン殺害(1973年12月27日頃)

21歳のルーシー・パーティントンは、エクセター大学の学生であり、小説家マーティン・エイミスの従姉妹だった。12月27日、A435号線沿いのバス停から拉致された。

フレッドは犯行後の1974年1月3日、右手の重傷(遺体の切断作業中に負ったとみられる)で病院に自ら駆け込んでいる。パーティントンの遺体は1994年3月6日、クロムウェル通り25番地の地下室から発見された。

テレーズ・ジーゲンターラー殺害(1974年4月16日頃)

21歳のテレーズ・ジーゲンターラーは、グリニッジ・コミュニティ・カレッジの社会学専攻の学生だった。4月16日、ロンドン南部からホリーヘッドへ向かうためヒッチハイクをしていたところを拉致された。スイス出身で英語にアクセントがあり、フレッドは彼女のことをオランダ人と勘違いし「オランダ人の娘」あるいは「チューリップ」と呼んでいた。スイスの家族がコミュニケーションの途絶を受けて捜索願を出したが、手がかりは得られなかった。フレッドは遺体を埋めた上に偽の煙突を建てて隠蔽した。

シャーリー・ハバード殺害(1974年11月15日頃)

15歳のシャーリー・ハバードは里子だった。11月15日、ドロイトウィッチのセヴァーン川近くのバス停からデートの帰宅途中に拉致された。

発見された遺体は、地下室の「マリリン・モンロー・エリア」と呼ばれた区画に埋められていた。頭部全体がテープで完全に覆われ、直径3.2mmのゴムチューブが鼻腔に7.6cm挿入されて呼吸が確保されていた。この状態で長時間にわたる拷問が加えられたことを示している。

ジュアニータ・モット殺害(1975年4月12日頃)

18歳のジュアニータ・モットは、かつてクロムウェル通り25番地に下宿していたことがあり、ニューエントの知人宅に住んでいた。4月12日、B4215号線沿いでヒッチハイク中に拉致されたと考えられている。フレッドは彼女を「ニューエントの娘」と呼んでいた。

モットの殺害後、フレッドは地下室の床全体をコンクリートで覆った。これ以降、遺体の埋葬場所は庭に移ることになる。


庭に埋められた犠牲者たち

シャーリー・ロビンソン殺害(1978年5月頃)

18歳のシャーリー・ロビンソンは、1977年4月頃からクロムウェル通り25番地に下宿していたバイセクシュアルの若い女性で、フレッドとローズの両方と性的関係を持っていた。

ロビンソンはフレッドの子供を妊娠し、出産予定日は1978年6月11日だった。同時期にローズも妊娠しており、当初はフレッドの子だと自慢していた。しかし、ロビンソンの妊娠が進むにつれ、ローズは深い嫉妬と憎悪を抱くようになった。

1978年5月10日頃、ロビンソンは殺害された。検察は、彼女の妊娠がフレッドとローズの関係を脅かしたことが動機だと主張した。

フレッドが後に付添人のジャネット・リーチに語った内容によれば、「ローズがロビンソンを殺害し、自ら胎児を子宮から取り出した」という。

遺体はクロムウェル通り25番地の庭に埋められた。胎児も共に発見され、複数の骨が欠損していた。ローズはロビンソンの失踪後、彼女の名前で出産手当金の不正請求を試み、また「ロビンソンは西ドイツの父のもとに行った」と説明した。

アリソン・チェンバーズ殺害(1979年8月5日頃)

16歳のアリソン・チェンバーズは、児童養護施設から何度も脱走を繰り返していた少女だった。1979年半ばにウェスト夫妻と知り合い、住み込みの乳母となった。ローズは彼女に「田舎の穏やかな農場」での生活を約束していた。

1979年8月5日頃、チェンバーズは殺害された。性的動機による犯行であることが確認された最後の被害者とされる。遺体はクロムウェル通り25番地の庭、バスルームの壁付近に埋められた。

犯行を隠蔽するため、フレッドとローズはチェンバーズが殺害前に母親宛に書いた手紙を、ノーサンプトンシャーのポストから投函した。


実の娘の殺害 ── ヘザー・ウェスト(1987年6月19日)

フレッドとローズの間に生まれた長女ヘザーは、幼少期から両親による深刻な虐待を受けて育った。

1980年代半ばのヘザーの状態を示す証言は、虐待の深刻さを物語る。

爪が血が出るほど噛みちぎられていた。飲酒していた。父親を常に警戒するように見ていた。男性の前では極度に緊張した。悪夢で眠れなかった。座っているときも前後に揺れ続けていた。学校では着替えやシャワーを拒否した ── 体中がミミズ腫れと痣だらけだったからだ。

ヘザーは友人に「両親から暴力を受けている」と打ち明けていた。彼女は家庭からの脱出を切望し、いくつかの求人に応募していた。

1987年6月18日、トーキーのホリデーキャンプからの不採用通知を受け取ったヘザーは、一晩中泣いた。翌6月19日の朝、16歳のヘザーは殺害された。

フレッドは後に「激昂のあまり絞殺した」と自供した。しかし、遺体の拘束用ロープにカーペット繊維が付着していたことから、ヘザーは殺害前に拘束され、性的暴行を受けていた可能性が高い。

遺体は大型の鋸歯ナイフでバラバラに切断され、ゴミ箱に収められた後、フレッドが息子スティーブンに「魚の池を作る」と嘘をついて掘らせた穴に埋められた。膝蓋骨と指骨が欠損し、爪が束になって発見された ── これは拷問の証拠とされている。

夫妻はヘザーの失踪について、「トーキーで仕事が見つかった」「家出した」「レズビアンの恋人と駆け落ちした」「クレジットカード詐欺に関わっている」と、その場しのぎの嘘を重ねた。ウェスト家では後年、「パティオの下に埋められるぞ」という「冗談」が子供たちへの脅し文句として使われるようになった ── それが現実だと知る由もなく。


家庭内の地獄 ── 子供たちへの虐待の実態

ウェスト家の子供たちは、7歳になると家事を割り当てられ、両親の許可なく家の外に出ることはほとんど許されなかった。身体的暴力は主にローズによって加えられ、1972年から1992年の間に子供たちが「原因不明の怪我」で病院の救急外来に搬送された回数は31回に上る。それにもかかわらず、社会福祉機関への通報は一度も行われなかった。

アンナ・マリーへの性的虐待(1972年9月~)

フレッドの実の娘アンナ・マリーは、8歳の時にクロムウェル通り25番地の地下室で最初の性的暴行を受けた。ローズがアンナ・マリーの服を剥ぎ取り、マットレスに縛り付け、猿轡をした上で、フレッドが強姦した。ローズはその後、アンナ・マリーに「どの家庭でも行われていること。これは父親の仕事だ」と言い聞かせた。

ローズ自身もアンナ・マリーに対して性的虐待を行った。13歳になると、アンナ・マリーは家庭内で売春を強いられ、客には「16歳だ」と説明された。ローズは常にその場に立ち会っていた。

ルイーズへの性的暴行(1992年5月)

1992年5月、13歳のルイーズが1階の部屋にボトルを運ぶよう指示された際、フレッドは彼女を強姦し、肛門性交を行い、部分的に首を絞めた。兄弟たちは「やめて!」というルイーズの叫び声を聞いた。ローズの反応は「自分から誘ったんでしょう」だった。

ルイーズはその後数週間で更に3回の強姦を受け、ローズはそのうち1回を目撃し、フレッドは1回をビデオ撮影した。1992年8月初旬、ルイーズは友人に打ち明け、友人の母親が匿名で警察に通報した。


発覚と逮捕 ── 20年の闇が暴かれるまで

1992年の捜査と挫折

1992年8月6日、警察は盗品捜査を名目にウェスト家を捜索し、99本のポルノビデオ(自家製および市販品)を押収した。ルイーズの強姦ビデオは発見されなかった。

翌日、5人の子供全員が里親に引き取られた。医学的検査により、身体的・性的虐待の証拠が確認された。フレッドは強姦3件と肛門性交1件で起訴され、ローズは児童虐待、夫の犯行の教唆、司法妨害で起訴された。

しかし、1993年6月7日、アンナ・マリーとルイーズが証言を拒否したため、裁判は崩壊した。アンナ・マリーはローズの報復への恐怖と、きょうだいたちへの影響を懸念して供述を撤回した。

夫妻は再び法の裁きから逃れた。

ヘイゼル・サヴェージ巡査の執念

しかし、この裁判の過程で、グロスターシャー警察のヘイゼル・サヴェージ巡査部長が重要な事実に気づいた。レナもシャーメインも失踪届が一度も提出されていないこと。そして、1987年から行方不明のヘザーについて、「パティオの下に埋められている」というウェスト家の「冗談」が実は真実である可能性。

サヴェージ巡査部長の粘り強い捜査が、「恐怖の館」の真実を暴くことになる。

1994年2月 ── 恐怖の発掘

1994年2月23日、ヘザーの遺体を捜索するための令状が申請された。翌2月24日、警察がクロムウェル通り25番地の捜索を開始した。

令状を突きつけられたローズは顔色を失い、取り乱して叫んだ。「フレッドを呼んで!」

フレッドは当初、自発的な証人陳述で「ヘザーは元気に生きている」「薬物カルテルに関わっている」「パティオの話はナンセンスだ」と主張した。

しかし翌2月25日早朝、フレッドは息子スティーブンにこう告げた。

「いいか息子よ、母さんの面倒を見て、家を売れ……俺はとても悪いことをしてしまった。新聞社に行って、できるだけ金にしろ」

同日午前11時15分、フレッドは正式にヘザー殺害を自供した。「激昂のあまり絞殺した」「鋸歯ナイフで切断した」「ローズは何も知らない」と主張した。

2月26日午後4時、庭から突き出た大腿骨が発見された。同日夜、歯科記録によりヘザーの遺体と確認された。

次々と明らかになる犯行

2月26日夜、フレッドは更に2体の遺体が庭に埋まっていることを自供した。シャーリー・ロビンソンと「もう一人」の存在を認めた。2月28日、2体の遺体が発見された。

3月4日、フレッドは弁護士を通じてジョン・ベネット警視に宛てた書面を提出し、追加の犯行を自供する意向を示した。

捜索は庭から地下室、そしてガレージへと拡大された。最終的に、クロムウェル通り25番地と周辺地域から合計12体の遺体が発見されることになる。


フレッドの死 ── 裁判を待たずして

1995年1月1日、フレッドはバーミンガム刑務所の独房で、衣類を使って首を吊り自殺した。53歳だった。

死亡時点でフレッドは、ローズとの共同での9件の殺人と、単独での3件の殺人で起訴されていた。しかし、裁判の場に立つことはなかった。

フレッドの火葬は1995年3月29日にコヴェントリーで行われ、4人の子供が出席した。牧師は詩篇23篇を引用し、「これらの悲劇的な出来事によって苦しんだすべての人々のことも忘れないでほしい」と述べた。遺灰はウェールズの海辺のリゾート地バリー・アイランドに撒かれたとされている。

フレッドは死の直前まで、付添人のジャネット・リーチに衝撃的な告白を続けていた。「ローズがシャーリー・ロビンソンを殺し、自ら胎児を取り出した」「残りの8件の殺人でもローズが主要な役割を果たした」「逮捕前夜にローズと協定を結び、全ての責任を自分が負うことにした」「多くの殺人はローズの失態だった」。

さらにフレッドは、「一箇所にまとめてではなく、あちこちに散らばって」最大20人の追加の被害者がいると示唆し、「毎年1箇所ずつ場所を明かすつもりだった」と語った。その真偽は永遠に不明のままだ。


ローズ・ウェストの裁判 ── 正義の審判

公判開始

1995年10月3日、ウィンチェスター刑事裁判所でローズ・ウェストの公判が始まった。マンテル判事が主宰し、ローズは10件の殺人罪について無罪を主張した。

検察官ブライアン・レヴソンは、冒頭陳述でウェスト夫妻を「サディスティックでセックスに取りつかれた殺人者」と評し、被害者たちの最期の瞬間を「言葉では表現できないほど恐ろしい」「性的倒錯の対象にされた」と述べた。

証人たち

クロムウェル通り25番地の元下宿人、被害者の遺族、ローズの母デイジー、姉グレニス、生存した被害者であるキャロライン・オーウェンズ、アンナ・マリーらが証言台に立った。

ローズの証言

ローズは証言台で「フレッドとは別々の生活を送っていた」と主張した。ヘザーについては「関係が悪かったことは認めるが、殺害については何も知らない」と述べた。

しかし、被害者の写真を見せられた際、ローズの顔は真っ赤になり、「いいえ、裁判長」と繰り返し吃りながら答えるのみだった。

ジャネット・リーチの証言 ── 決定的な一撃

裁判最後の証人として、フレッドの付添人だったジャネット・リーチが証言台に立った。リーチは、フレッドから聞いた告白を証言した。

「フレッドは私に言いました。ローズがシャーメインを殺した、自分は収監中だった。ローズがシャーリー・ロビンソンを殺して自ら胎児を取り出した。残りの8件の殺人でもローズが主要な役割を果たした」

「フレッドは逮捕の前夜にローズと協定を結び、全ての責任を自分が負うと約束した。彼はこれらの殺人の多くを”ローズの失態の一部”と呼んでいました」

リーチは反対尋問中に倒れ、裁判は6日間中断された。11月13日に審理が再開された。

有罪評決

1995年11月21日から22日にかけて、陪審員団は10件の殺人罪全てについて全員一致で有罪の評決を下した。

マンテル判事はローズの犯行を「恐るべき、そして退廃的」と断じ、仮釈放なしの終身刑を宣告した。1997年7月、ジャック・ストロー内務大臣が正式に「終身拘禁命令(Whole Life Order)」を発令。これはイギリスの司法制度における最も重い刑罰であり、死ぬまで釈放されないことを意味する。


その後 ── 残された傷跡

クロムウェル通り25番地の取り壊し

1996年10月、グロスター市議会の命令により「恐怖の館」は完全に取り壊された。解体で生じた全てのがれきは、ダークツーリズムの対象となることや「記念品」として持ち去られることを防ぐため、焼却処分された。

跡地は現在、公共の遊歩道として整備されている。しかし地元住民たちは、30年近く経った今でもこの場所を通る時に「奇妙なエネルギー」を感じると語っている。

家族の崩壊

ウェスト夫妻の事件は、残された家族にも壊滅的な影響を与え続けた。

アンナ・マリーは1995年の裁判での証言から2週間後に自殺を図り、1999年にもセヴァーン川の橋から飛び降りて自殺を試みた。

フレッドの弟ジョンは、1970年代にアンナ・マリーともう一人の未成年者を複数回強姦した容疑で裁判中だった1996年11月、ガレージで首を吊って自殺した。

息子スティーブンは2002年に首吊り自殺を試み、2004年には14歳の少女との性行為で9ヶ月の実刑判決を受けた。

息子バリーは2020年10月、40歳で薬物の過剰摂取が疑われる状況で死亡した。幼少期の虐待 ── 姉ヘザーの殺害を目撃した可能性も含む ── による薬物依存と精神疾患に苦しんでいた。

1978年から1983年に生まれた4人の末子たちは、逮捕後に新しい身元を与えられ、里親のもとで育てられた。

シャーメインとレナの遺体はケタリングで火葬された。アンナ・マリーの強い希望により、母と娘は同じ棺に納められた。式ではバラの花は一切許されなかった ── 「ローズ」という名前を連想させるためだ。

ローズ・ウェストの現在

ローズ・ウェストは現在、ウエスト・ヨークシャー州フロックトンにあるニューホール刑務所に収監されている。2019年6月、ダーラム州のロウニュートン刑務所から移送された。移送の理由は公式には「移送計画の都合」とされているが、報道によれば、同刑務所に移送されてきた連続殺人犯ジョアンナ・デニーによる殺害脅迫が原因とされている。

2020年以降、ローズは法的に「ジェニファー・ジェインズ」に改名し、刑務所内での存在感を薄めようとしている。現在72歳の彼女は、歩行がほとんどできない状態で障害者用の部屋に暮らしている。

ローズは全ての殺人について無罪を主張し続けている。2001年9月に「たとえ釈放されても自由だと感じることはない」として控訴を取り下げたが、犯行への関与は一度も認めていない。

ローズの長女を含む子供たちは当初定期的に面会に訪れていたが、2006年までに全員が接触を断った。娘メイがローズの有罪を問い始めたことがきっかけだった。ローズは面会の断絶について「私は当時も親ではなかったし、今さら親になれるはずもない」と語った。


事件年表

  • 1941年9月29日 ── フレッド・ウェスト誕生(ヘレフォードシャー州マッチ・マーカル)
  • 1953年11月29日 ── ローズ・レッツ誕生(デヴォン州ノーサム)
  • 1961年11月9日 ── フレッド、妹への近親姦で裁判(不成立)
  • 1962年11月17日 ── フレッド、レナ・コステロと最初の結婚
  • 1967年7月頃 ── アン・マクフォール殺害(最初の犠牲者)
  • 1969年初頭 ── フレッドとローズが出会う
  • 1970年10月17日 ── 長女ヘザー誕生
  • 1971年6月20日頃 ── シャーメイン・ウェスト殺害(ローズ単独犯行)
  • 1971年8月後半 ── レナ・ウェスト殺害
  • 1972年1月29日 ── フレッドとローズ結婚
  • 1972年12月6日 ── キャロライン・オーウェンズへの暴行事件
  • 1973年1月12日 ── オーウェンズ事件の公判(罰金50ポンドのみ)
  • 1973年4月20日頃 ── リンダ・ゴフ殺害
  • 1973年11月10日頃 ── キャロル・アン・クーパー殺害
  • 1973年12月27日頃 ── ルーシー・パーティントン殺害
  • 1974年4月16日頃 ── テレーズ・ジーゲンターラー殺害
  • 1974年11月15日頃 ── シャーリー・ハバード殺害
  • 1975年4月12日頃 ── ジュアニータ・モット殺害
  • 1978年5月10日頃 ── シャーリー・ロビンソン殺害
  • 1979年8月5日頃 ── アリソン・チェンバーズ殺害
  • 1987年6月19日 ── ヘザー・ウェスト殺害(実の娘)
  • 1992年8月6日 ── 警察によるウェスト家捜索、子供たちの保護
  • 1993年6月7日 ── 性的虐待裁判崩壊
  • 1994年2月24日 ── クロムウェル通り25番地の捜索開始
  • 1994年2月25日 ── フレッド、ヘザー殺害を自供
  • 1994年2月26日 ── ヘザーの遺体発見
  • 1995年1月1日 ── フレッド・ウェスト、刑務所内で自殺(53歳)
  • 1995年10月3日 ── ローズ・ウェストの裁判開始
  • 1995年11月22日 ── ローズ、10件の殺人罪で有罪評決
  • 1996年10月 ── クロムウェル通り25番地取り壊し
  • 1997年7月 ── ローズに終身拘禁命令
  • 2019年6月 ── ローズ、ニューホール刑務所に移送
  • 2020年 ── ローズ、「ジェニファー・ジェインズ」に改名
週刊あおいみゆ

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